緑内障闘病記 [みるとん]
記憶を辿り、
みるとんの
緑内障闘病を
記録しておきたいと
思います。
2011年3月20日、
ヒーター前に陣取る
みるとん
まだ変わった様子は
見られませんでした ↓
みるとんは、
2007年4月
崩壊廃業ブリーダーから
レスキューされたとき
すでに、
左耳は掻きすぎて
軟骨化のため立たない、
右目は緑内障の
眼球破裂で白く小さい。
これが、
ペットショップで
売られている子犬たちの
母犬が強いられる
生き地獄です
2011年4月25日
福島方面に旅行に
でかけました。
その時、
歩き方がおかしいなぁー。。。
くるくる回って
坂を下りたがらない、
ということに
気が付きながらも、
特に気にしなかった
さえもん
数日後、
ん?もしかして、
眼がよく見えていないのでは??
と思うときがあり、
病院に連れて行きました。
が、折悪く、5月。
病院は駐車場まで
犬猫で
溢れていました。
知識がなかった
さえもんは、
急病じゃないからと思い、
また後日にしようと、
帰ってしまいました。
1週間後の5月11日、
やっぱりおかしいので、
再度病院に行き、
告げられたのが
「緑内障」。
眼圧が50mmHgもあり、
(正常値10~25)
点眼薬「キサラタン」を
処方されました。
3日後の14日、
再診。
眼圧は25になったが、
いまだ高め。
獣医曰く、
この病院では
この点眼で
眼圧を抑えていくしか
方法がない
眼圧が上がると
とても痛いから、
抑えられない時は
眼球摘出手術を
した方がよい。
この日から
眼圧との
闘いが始まりました。。。
17日、
ネットで調べて
眼科のある
森田動物医療センターへ。
眼圧19~20
角膜に傷があるので
まずはその治療をとのこと。
眼圧が上がると
痛いので
眼をこすりつけて
角膜に傷を
つけてしまうそうです。
そういえば、
よく目のあたりを
こすり付けてきていた。。。
点眼薬3種類、
内服2種類。
アラーム設定をしての
昼夜毎日の点眼が
始まった。
20日、 再診。
眼圧30
点眼薬5種類
内服2種類処方される。
25日、
眼科専門医のいる
埼玉動物医療センターへ
転院。
眼圧21
「原発性慢性緑内障」との診断。
点眼薬 チアブート 1日8回
トリソプト 1日3回
キサラタン 1日2回
内服薬 ステロイドと胃薬
1週間後の6月1日 再診
眼圧17
落ち着いてきているので
チモロール(チアブート)の回数を
1日6回に減らすことに。
さらに1週間後の8日からは
4回に減らす。
6月16日
通院3回目。
眼圧30
チモロールを6回に
増やす。
30日
通院4回目。
眼圧15
チモロールを1日3回に
減らしていくことに。
7月7日
通院5回目。
黒目に
白いところがあるのを見つけ、
急きょ病院へ。
傷がついているということで、
点眼薬ヒアレイン追加
1日3回
14日
通院6回目
傷がよくなっていない。
このころから
みるとんは
点眼をすごく
嫌がるようになり、
ベッドの下に
潜り込む。
引きずり出して
点眼していたが、
しみて
痛かったんだろうな、
無理矢理しない方が
よかったな、と
後悔しています
21日
通院7回目
眼圧21
傷が悪化
「難治性角膜潰瘍」と
診断され、
外科的治療を行いました。
点眼薬オフサロンと
内服の抗生剤が追加。
27日
通院8回目
眼圧29
角膜の傷は治っている。
8月11日
通院9回目
眼圧26
新しい傷がみつかる
薬は継続
20日
下痢で病院へ
ついでに眼圧を
はかってもらったら、
なんと40!
25日
通院10回目
眼圧28
角膜の傷は治っている。
点眼のし過ぎで
ただれてた瞼の
治療を優先することに。。。
このように
必死に闘ってきましたが、
緑内障発症が分かってから
4か月後の9月、
いよいよ
ほとんど眼が見えない様子が
伺えるように
なりました。
あの食いしん坊の
みるとんが、
お座りをさせて、
ごはんを置いて
ヨシを言っても
どこに置いてあるのか
分からないのです
点眼がしみたり
瞼がただれたり
眼圧が上がると
痛みがあったり。。。
そういう辛さを
なくす方法は
ひとつ、
眼球摘出でした。
しかし、そうすると、
うっすら感じているであろう
明るさもない、
真っ暗闇の世界に
生きることになります。
悩みに悩みましたが、
当時みるとんは
まだ12歳。
痛みに耐えているより
真っ暗に慣れれば
その方がいいに違いないと、
9月末に
眼球を摘出して
義眼を入れる手術を
することを
決意しました。
当日は、
手術が終わったあと、
面会することができました。
病室に入っていくと、
なんとも悲しい
訴えるような鳴き声が。。。
それがまさか、
あの我慢強い
みるとんの声だとは
思いもせず、
そうだと分かったときは
涙がでそうに
名前を呼び掛けると、
鳴き声がぱたっと止み、
起き上がろうとします。
退院は翌日。
心を鬼にして、
翌朝の手作りご飯を渡して
帰りました。
翌日
お迎えに行くと、
朝ごはんをぺろっと
食べたそうで、
みるとんらしいなぁと
嬉しくなりました。
前の日の鳴き声は
麻酔が覚めるときのもので、
よくああいう声を出す
とのこと。
なぁーんだ
2011年11月10日
手術から
約1か月半後です。
このころは
まだ喜んでお散歩に
行っていました。
手術してくれた先生は、
義眼とは分からないほど
うまくできたと、
上機嫌でした。
義眼手術後、
楽しみは食べることと
寝ること。
お散歩もあまり
行かなくなり、
鳴くこともなくなりました。
寝ているときに
よく、走っている格好をしたり、
ウオンウオン声を
出したりするように
なりました。
夢の中では
見えているんだろうな。
亡きおじいちゃんと
お散歩に行っている
夢でも
見ているのかなと
よく思っていたものです。
2013年6月12日
ちびにベッドをとられるみるとん
ちびちゃんには
猫パンチを食らうので
絶対に近づかなかったのに、
見えないんだね。。。
このような
変化はありましたが、
相変わらずの
食いしん坊さんで、
食べた後に
小さなぬいぐるみを
咥えて
クークーいいながら
歩き回ることは
続いていました。
根っからの
お母さん犬だったんだよね。
2015年3月2日に
亡くなるまで
約3年半、
真っ暗闇の中で
よくがんばってくれました。
みるとんの場合は
右目がもともと
見えなかったのに加えて
左眼を義眼に
という結果、
暗闇の世界に
なってしまったわけです。
眼圧のコントロールが
うまくできたり、
片目は見えていて
生活に支障ない場合も
ありえることを
付け加えさせていただきます。
みるとんの命日 [みるとん]
みるとんが
虹の橋に引っ越して
2年が経ちました。
みるとんは
ホント、
よい子だったから
いろんなところに
一緒に行きました
2011年4月福島県 「滝桜」
東日本大震災の
1か月後、
どうせなら
福島にお金を落とそうと
出かけました。
高速道路が、まだ
うねっていたり
亀裂があったり。。。
みるとんとは
よく和風温泉旅館に
泊まったね。。。
2012年11月宮城県松島
フィギュアスケートNHK杯を
初生観戦しに
行ったんだっけ。。。
(そして、さえもんは
高橋大輔さんに
トチ狂うことに。。。)
この時は
みるとんは
もう緑内障で
義眼手術をしたあとだったね。
真っ暗な世界でも
ホントにがんばって
それから
4年近くも生きてくれたね。
えらかったね
ちびちゃんは
まだ頑張っているよ。
今朝の様子 ↓
マーニー : し、しっつれいしまーす。。
ちびが乗っている
クッションに
マーニーが
恐る恐る乗っていきました
ちび : どうぞどうぞ
みるとーん!
会いたいなー
思い出して
しんみりしている
さえもんの目の前で、
灯は
ガシガシカミカミ・・・
骨型ガム(大)に
夢中です
ソファを独り占めして
こんな恰好
さえもんが大好きな
あんよでっす!
うひょ、きゃわいいー
みるとんが我が家に
来てくれた
おかげで、
今はこんなに
にぎやかです。
みるとんや、
ありがとね
今日はみるとんの1周忌 [みるとん]
昨年の今日
先住ウェスティの「みるとん」が
亡くなりました
16歳と2か月でした
みるとんは8歳の時に
崩壊ブリーダーから
レスキューしてきた子で
私が40年ぶりに迎えたワンコ。
今日は我が家に帰ってきているかな
大好きだったおじいちゃんも
あちらにいるから
来てないかな。
きっと向こうで
おじいちゃんを見つけて
大好きだった車に乗って
大好きだった公園に行ってるね。
おーい、みるしゃーん、
天国からみんなを見守っててねー
by Saemon
胸がきゅーっとなるような
なんとなく涙がでてきそうな
そんな日も
おかまいなく食いしん坊なおば様方。
はい、ご飯ですよー
みるとんがアレルギーっぽかったので
手作りにしました
いまだに手抜き手作りです
さえもん : こらっ、「よし」いってないでしょ!!!
灯 : ハイッ
マーニー、食べたあとのお顔です
もうないですよー
食べた後は
ゆっくりお休み
最近、灯がマーニーにくっついていきます
迷惑そうなマーニー
間に落っこちて
はまっちゃいました
灯ちゃん、ダイエットしなきゃね
ちびとマーニーの
ヒーター前の
アリーナ席取り合いも
もう終わり
春が近づいていますね。
みるとんも
ヒーター前が指定席だったなぁ。。。
毛が焦げて
黄色くなったりしてたなぁ